2015年08月04日
コスモスの花によせて
今日は、店ブログとは関係なく、まったく個人的な想いを、この場ををかりてつぶやいてみたいと思います。
今日はお店がお休みで、昼間ぼーっとテレビを観ておりました。すると、震えるほど怒り、そして悲しい言葉が目に耳に飛び込んできました。
衆議院議員の武藤貴也氏のツイッターでの発言です。
それは、「SEALDS」という国会前でデモを行っている学生集団に向けて言われた発言。学生たちの言う『だって戦争に行きたくないじゃん。』は自己中心的な考えで、こういった利己的個人主義的な考え方は、戦後教育の成すところであり、非常に残念だ…との主旨の言葉でした。
はっきり言ってこちらの方が残念だと思いました。なぜならこの方は滋賀選出の議員さんだからです。
ここでは、安保法案に賛成反対は言いません。
けれど、「戦争に行きたくない!」は、はたして自己中心的な考えなのでしょうか? 利己的個人主義につながるのでしょうか?
ならば、武藤議員(いえ、一人の成人男性として、ここでは武藤さんと呼ばせていただきます)、武藤さんは、近い将来集団的自衛権が行使されて、自衛隊が海外に派遣されるとなった時、その自衛隊を率いて先頭に(戦闘に)立っていただけるのでしょうか?
私の母方の祖父は、先の戦争で戦死しています。
中国の上海で、敵の銃弾を頭に受け、死にました。
今の私たちには、戦場の様子など想像できないほど遠い話です。
ですが3年前、母が亡くなる前に言ったこの言葉で、戦争の悲しみというものを実感しました。亡くなる1週間ほど前でした。
『私はな、もうじき死ぬ。けど、怖いことなんかあらへん。やっとお父さんに会えるんやもん。』
祖父が亡くなった時、母はまだ2歳でした。当然顔も知りません。(写真以外では)
ずっと会いたかったのでしょう。
母方の祖母は、庭に毎年コスモスの花をたくさん咲かせていらっしゃったと、いつだったか従妹から聞いたことがありました。
一方、私の母の遺したノートの中に、こんな記述がありました。『父の好きだった花…秋桜』
このふたつの事がつながった時、胸が締め付けられるような思いでした。
祖母は、祖父にどんなに生きていて欲しかったことだろうと。
人として、母として、この先戦争を起こさないために、今何が必要なのか、じっと考えたいと思います。
武藤さんは自分は戦争に行かず、戦死もしません。
そして、他人は戦争に行くべきだ、と言っているのです。
こういう類のヤカラはたくさんいます。
とくに、特攻隊について言うヤカラが多いです。自分は特攻に行かず,ふつうの市民に向かって威丈高に、反対するお前らは非国民だ、と糾弾しています。
こういうヤカラをバックに、政局が動いていると思います。
こういったことをブログで書くことを、実は少しためらいました。でもきっと「同感!」と思って下さる方もいるはずだと、思い切って書きました。最近本当におかしなことを言う政治家たちが多いですね。どうなってしまうのでしょう。何かしなければと焦ります。
安部さんは、無知だと思います。
現在の憲法でさえ大日本帝国憲法の手続きにしたがって帝国議会で可決され、憲法原本の上に国の主権者であった昭和天皇が「上ゆ」を書いて発効しました。
安部さんのやり方は、憲法違反です。